Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

「わかる」ということ

「どうすれば現代文ができるようになりますか?」と聞かれるときは、ほとんどの場合「現代文の問題が解けるようになる。」である。そのためには「現代文の問題文を理解できるようになる。」ことが必要だ。つまり、文章を読み取れるようにならなければならない。

畑村洋太郎著「みる わかる 伝える 」では、「わかる」ということは、自分の中にできあがった「枠」(パターン、形式)に自分の外のものを当てはめるという作業をし、ある程度当てはまった場合「わかる」という現象になるというようなことが書かれてあった。

なるほど、自分の思考パターンを省みてみるとそうなのかもしれないと思った。自分の中にある「枠」にどう当てはめるかを考えて、当てはまる部分と当てはまらない部分があり、当てはまらない部分はさらに細かくして何とか当てはめようとしている。当てはまらない部分は「わけがわからない」ということになる。

さてじゃあ、「枠」をどのように作るのかというと、「枠」の外部からのインポートはできないと思う。自分の中に醸成されていくのを待つしかない。受験対策講座なんかで、「これは、こんなふうに考えます。」なんて言われて「枠」を示されても、同じ問題が出る場合は当てはまるけれど、その可能性は皆無に等しい。

ということは、「現代文がわかる」方法は、たくさんの文章にあたるしかないんだろうなぁという結論にいたってしまった。あらあら、受験まで時間が無い人には不可能だぞ。