今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」(それにしても長いタイトル)では,中学校学習指導要領(英語)解説を読み取った。いやぁ,とにかく分からない表現ばかりで,英語教育には疎い私にとっては,試行錯誤だった。
目標は
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次の通り育成することを目指す。
と書かれてある。
英語科(学習指導要領では,「外国語科」だが,ほとんどの学校で英語教育が行われているので,以降,「英語」と表記していく)の目標だが,つまり,英語でコミュニケーションを図れるようになることが目標なのかな?と最初読み取った。
しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って何だろう?コミュニケーションにおいて,見方,考え方は含まれているのだろうか?例えば,「社会科」の見方考え方だったら,「公民としての見方・考え方」や,「民主的見方・考え方」と言い表すこともできる。しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って全く意味が分からない。どなたか教えてほしい。
「ある見方・考え方に沿ったコミュニケーション」だったら,意味が通る。「威圧的コミュニケーション」や,「協働的コミュニケーション」,「同調的コミュニケーション」などだ。コミュニケーションの仕方には必ず意図が反映される。
キーワードである「見方・考え方」を無理矢理ひっつけたような気がした。また,他の解説の部分でも,「いや,それって「言語活動」の説明であって,英語の説明じゃなくてもいいよね?」という所が多い。
しかし,「英語における見方・考え方」であるならば,話は別だ。学習指導要領では,そこまで言っているのだろうか?「言語の檻」という言葉があるが,英語という言語によって見えるものも学ばせたいという意図だろうか?英語を学ぶことにより,日本語では見えない部分が見えるようになる,というのだったらよくわかる。
受講生がピンときていなかったようなので,以下の例を出してみた。
It is sunny today.
It is obvius that Jim laves Mary.
Keep off the grass.
どれも英語独特の表現で,日本語にはあまりない文構造だ。形式主語「It」なんて,日本語で喋っている人には感覚的には分からないものだ。一説にはヨーロッパには絶対神がいて,それを「It」で表しているという。日本語では「今日は晴れている」と表し,主語なんてないようなものだが,英語では必ず主語を書く。常に「それ」を意識するようになっている。
言語が先か,思想が先かという問題はあるのだが,エクリチュール的な考え方でいうと,言語によって思想が規定されているということになる。つまり,極論で,英語を学べば,英語の裏にある文化,思想も学ぶことになる。日本語の「言語の檻」から脱出できるということになる。
あと4〜5年もすれば,持っているスマートフォンを相手のスマートフォンとブルートゥースで接続して,リアルタイムで翻訳機能を使えるようになると思っている。オリンピックには間に合わないかもしれないが,自分がスマホに向かってしゃべると,相手のスマホに自国語での翻訳が表示されるのだ。または,音声で流れてもいい。新たなガジェットを使わなくても,アプリで対応できるはず。いや,ネットを介してやれば,今でもできるのかもしれない。
そんな世の中になった時,必要な英語教育って何だろう?通常会話はスマホを介してできる。海外旅行に行ったとき,それを持っていけば事足りる。「いや,人間は直接コミュニケーション取らなければ」とか,「気持ちが伝わらない」とか,言う人がいるけれど,今現在,英語ができなくて,そんな会話もしようと思えない日本人が大多数なんだから,そのツールができれば,コミュニケーションを取ってみようという気持ちになるだけいいのでは?と思う。
英語教育を十数年受けてきて,本当にコミュニケーションを取りたい相手が,英語文化圏の人じゃなかった場合,十数年かけて学んだ英語教育は,どのように活きるのか?という命題を立ててみると,「英語教育の意味」が見えてくるような気がする。
自分はこの人とコミュニケーションを取りたい。しかし,相手は英語は通じない。そんな時にどんな力を付けるべきか?
- 言語を使っている以上,相手とは必ず言語でコミュニケーションが取れるはずだ。
- 自分の文化と違う文化は当たり前のようにあるのだから,違和感があったとしても拒否してはいけない。
- 言語を使っている以上,相手もコミュニケーションを取りたいと思っているはずだ。
- 挨拶というものが必ずあるはずだ。
- 自分たちの見方・考え方と違う見方・考え方というものが必ずあり,そこには相互理解できない部分があるかもしれないが,拒否してはいけない。
とか,思いつきで書いたのだけれど,これらのように,「英語を身に付けることによって,何を学ぶか?」ということを突き詰めていくことにより,英語教育の意味が見えてくる気がした。
そんなことを議論しているうちに,2017年の映画メッセージを思い出した。宇宙人が突如地球にやって来て,米菓「ばかうけ」みたいな宇宙船を空中に浮かばせておくんだが,言語学者がなんとか相手とコミュニケーションを取ろうと試行錯誤する。
そこで発揮できる力を身に付けるのが「英語教育の意味」なんだろうといいう結論になった。