「100分de名著」で岸見一郎の解説を聞いたり,ひょんなことから,「子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気 (幻冬舎単行本)」を読んだり(本当は,聴いたり)して,アドラー心理学に触れることがあった。「褒めない,叱らない」って,どういうことなんだろう?と疑問に思っていた。
そして同僚の赤坂真二先生の著書「アドラー心理学で変わる学級経営」を読んだ。
「褒めない,叱らない」ということがわかったわけではないのだが,子どもの「不適切」な行動には目的があると述べており,褒めず,叱らず,その目的や,目的に到達する手段を別のものに修正する必要がある,ということなのかな?と思った。
前者に立つと,「子どもたちの気になる行動や問題行動には原因がある」と捉えることができますが,「それらは目的に向かって起こる」と捉えることができます。学校現場では学校現場ではついつい原因論に立ってしまうことが多いのではないでしょうか。……「悪者探し」をしがちです。……しかし,目的論に立つと同じ行動でも違って見えてきます。意地悪をするのは,「相手の気をひきたい」のかもしれません,「一緒に遊びたい」のかもしれません,また,「ストレスを発散したい」のかもしれません。
目的論に立つことで,悪者探しが起こりにくくなる
のです。(p.51)
「悪者探し」は,学校だけでじゃなく,社会で当たり前のように起こっている。何か事故があったら,事故を起こした当人を「悪者」として,糾弾する。実はシステムによる事故や,構造による事故という場合が多い。航空業界では,それに気づき,事故があったらブラックボックスを元に徹底的にシステムや構造を究明する。医療業界では,まだそれがなく,原因を医療従事者に求めたり,医療従事者が原因を自ら否定して,人間の寿命に求めざるを得ない状態があるという。
悪者探しをしても,子どもや学校現場はちっともよくならない。というのはよくわかっているが,悪者探しをして,悪者を見つけ,それで納得して,精神を安定させる。
「学校現場の失敗学」を考えてみる必要がある。
「褒めない,叱らない」が,ちょっとだけわかった気がする。でも,先日次男を叱ってしまったんだよなぁ。