Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

七夕句会


大学院授業「中学校高等学校国語科授業づくり演習」で句会を行った。昨年の梅雨の時期も受講者と私で句会を行ったのだが、昨年は私が「ほしとんで」を読んで、それに書かれてある句会を見よう見まねで行った。

そんな話を今年この授業で行ったら、受講者の1人が俳句を熱心にやっている人で、句会も本格的にやっているそうな。ということで、その受講生の手ほどきで句会を今年もおこなうことにした。丁度7月7日だったので、句会にはいい日取りだったかもしれない。

去年は「じゃあ、これから、40分で2句作ってきて出し合いましょう」という感じだったのだが、今年は「事前に3句作ってきて、前日までにメールで提出すること。1句は「はだし」という季語を入れて作ってきて。」ということで、宿題を出されてしまった。

次の週の前日まで約1週間、ずーっと「俳句作らなきゃ」と思っていなければならないんだったら、土・日でひねり出そうと思って、とりあえず家に帰っている土・日、ベランダで横になりながら、ノートに鉛筆で構想をメモりながら作った。こういう時って、デジタルメモでは美味くまとまらないなぁと思った。自由に何でも書けるノートに、鉛筆で、思いついたものをどんどん書いて行くのが私にとって一番やりやすかった。

スマホにだったらいつでも、どこでもメモれるのだが、ノートに鉛筆だと、さっと出してメモれないから、私としては「作るぞ!」という気構えがないとできない。使用筆記用具による思考の影響力ってあるんだな、と思った。

私がひねり出したのは次の3つ

次々にはだしの跡消ゆ水辺かな
花火点け無防備すぎるふくらはぎ
ベランダの雲は真っ直ぐに切り取られ

句会では作者を伏せたまま全俳句が配られ、その中から特選1つと並選2つを選ぶ。

それぞれがどれを選んだのかを言って、他の人はそれをプリントにメモる。

得票の多い順(例:特選の多い順、選者の多い順)に、どうしてそれを選んだのか、選ばなかったのかのコメントを言って、最後に作者が名乗り出る。今回は4人でおこなったので、選ばなかった人が作者である可能性が高いので、自分の句にコメントを言っていいのかどうか迷ったところだ。しれーっと言えるようになれば、面白いのかもしれない。

私の句の評と、私の意図はこんな感じ。

次々にはだしの跡消ゆ水辺かな

並選を1人が付けてくれた。

「跡消ゆ」で句切れているのに、「かな」で切れ字があって、そこはちょっとな、と思ったのだけれど、乾いた感じ、湿り気がない(エロくない)のがいい感じだった。

なるほど。「切れ」が2つあるのか、と、作っているときには気づかなかったことに気づかされた。「はだし」という季題で、エロっぽくしようと思っていたのだけれど、あからさまなエロさは好きでは無いから、ほんのり香る感じで、と考えていたのだが、なかなかそれも出来なかったので、こんな句になった。

「水辺かな」は最初は「プールサイド」で、プールサイドのコンクリートに足跡が付いて、暑さでそれが次々に消えていく感じを読みたかったのだが、「プールサイド」も夏の季語で、「季重なり」を避けるために結局「水辺」とした。でも、水辺はやっぱり海辺を連想するから、波によって次々に消えると受けとられるよね、なんていうやりとりができた。

特に季重なりなんて、気にしなくても

という意見もあったので、「プールサイド」でもよかったのかもしれない。

花火点け無防備すぎるふくらはぎ

並選を1人が付けてくれた。

「花火」というと、これは俳句の文脈では打ち上げ花火のことになるので、「手花火」を使った方が良かったのだろう

そうなのか。いろいろ勉強しなければ分からないことはたくさんだ。

「はだし」から連想して、「ふくらはぎ」となり、花火で照らされたら、蚊取り線香もないし、脚には虫除けスプレーもしていないことに気づいた感じを詠んでみた。

ベランダの雲は真っ直ぐに切り取られ

特選を1人が付けてくれた。

部屋の中から外を見て、窓枠に切り取られた雲が見えた。
「真っ直ぐに」の「に」は必要か?「に」を付けて8音にする必要は?
「切り取られ」も連用形で、終わらせていないけれど、どうして?
雲はもくもくしているけれど、「真っ直ぐに切り取られ」ているのがよくわからなかった

などなど。自分の意図ってなかなか伝わらないんだな、と思ったけれど、伝わらないけれど、それぞれの解釈でそれぞれが風景を描いていて、それを聞くのが面白かった。

これは、俳句を作っているとき、マンションのベランダでリクライニングチェアに寝て空を見ていたら、ベランダの天井や柱で青空が四角に切り取られていることから詠んだもの。俳句を作ろうとしなければ生まれなかった句だ。「ベランダ」が夏の季語であるということにもその時検索して分かった。「真っ直ぐ《に》」で「に」を入れたのは、「真っ直ぐ」では、誰かが切ったみたいで、「なんか知らんけど、切り取られている」感じを出したかったので、「に」を入れて、「結果真っ直ぐ「に」切り取られているよ」、というニュアンスを出したかったのだ。

字余りは、なるべく避けたい

ということなので、パーツをいろいろ組み替えて、納まるようにできたらよかったかも。

それにしても、句会は表現を考えるうえで、かなり効果的な学習活動になるな、と思った。こちらの表現意図と工夫と、読む方の受け取り方の違いに面白さを感じられた。

指南してくれた専門家の受講生が
コメントが秀逸でよかった
ということを言ってくれたので、どこまで突っ込んで言えるか、どこまで文字の表現から想像を巡らせるかによって、句会の楽しさは変わるんだろうな。

「みんな良い句だね」なんていうスタンスじゃ、句会の楽しさは味わえないんだろうし、授業に取り入れるときに、そこのところをどう指導できるかにかかっているのかな?