Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

授業づくりビフォーアフター

学部2年生の授業「教育実践基礎論」の模擬授業が佳境を迎えており、連日各班との「対話」で互いに授業を作っていく。「対話の時間を取ってください」とメールが来る。いい傾向だ。それでも「対話」といいながら、私が授業デザインを押しつけてしまう場合もあるから、そんなことにならないように気をつける。

「対話」のいいところは、この打ち合わせの時間の前には思いも付かなかったアイディアが対話の後に生まれ、ワクワクする授業デザインが生み出されることだ。

授業プラン(特に目標)を持ってくると、私は徹底的に質問する。「何のため?」「どうしてこれをやるの?」、それに対して説明できないと、持ってきた授業プランを見直すきっかけになる。そんな感じで学生たちが作っていった各教科の授業デザインのビフォーアフターを紹介する。

英語《ビフォー》正確なアクセントを身に付けよう

英語はアクセントを正確にしないと伝わらない。だから、正確なアクセントを身に付けて、英語母語話者に伝わる英語で話す力を身に付ける。

というものを持ってきた。それに対する対話(というか、主に私のツッコミ)は、以下のもの。

  • 本当に伝わらないのか?
  • 街を歩いていて、日本語話者じゃない人に話しかけられて、アクセントが違って伝わらなかったことがあるか?
  • 英語母語話者と、今後話すことはあるのか?
  • コミュニケーションを取るのだったら、Google翻訳アプリでいいのでは?
  • コミュニケーションを取るために、本当に必要なのはアクセントなのか?

などとツッコみ、「コミュニケーションを取るために一番大切なのはコミュニケーションを取ろうとする気持ちだ」ということに気づいたようだ。

そもそも、街を歩いていて、外国語話者から、日本語で話しかけられた経験を、学生さんたちは持っていないということが分かった。大学生活開始からCOVID-19禍だから、しょうがないといえばそうかも知れない。「綺麗な発音、正しいアクセント、イントネーションで英語を話そう」ということを高校までに植えつけられ、そうじゃ無いと伝わらないと洗脳されているのだ。その思い込みを持って、これから英語教育をしたら、そんなコミュニケーション不全を生む授業が再生産されてしまう。

英語《アフター》正確なアクセントじゃ無くても、どの程度伝わるのか、伝わる範囲を理解しよう

日本語だって正確な発音、アクセントじゃ無くても伝わる場合もあるし、「箸」と「端」のように、シチュエーションによって、伝わったり伝わらなかったりする。だいたい会話なんて、文脈で理解するのだから、そこ文脈で出てくる語のアクセントが違ったとしても、伝わるのだ。そんな経験をすれば、英語を喋るときだって、無闇に「美しさ」「正確さ」を追求しなくても伝わるし、コミュニケーションを取ろうとする意欲だって生まれるだろう、という考え方で授業を作っていった。

算数《ビフォー》「速さ・道のり・時間」の関係を生活の場に即して計算できるようにしよう

最初に持ってきた授業プランは、「速さ・道のり・時間」の公式を、旅行プランに当てはめて、どれが最も効率のよいプランなのかを考える、というものだった。それぞれの計算は、きっちり小数点第1位まで答えを出し、複数のプランを比較して検討させようとしていた。それに対する対話(というか、私のツッコミ)は、以下のもの。

  • 日常生活で、小数点第1位まで考えることってある?そんなに日々細かく物事を考えているの?だいたいで考えてない?
  • そもそも、早いとか、料金が安いということだけで、旅のプランって決めている?
  • 「速さ」「道のり」「時間」ってどういうものだか考えたことある?
  • 「速い」って、どういうこと?
  • 空を飛んでいる飛行機と、地面を歩いている蟻、それほど速さが変わらないように見えるのだけれど、何で?

そんな対話の流れで、「見かけの速さ」という話題になり、それを計算してみたら?ということになった。そんな公式があるのかどうか分からないが、算数的なきっちりと数値で表せる「速さ・道のり・時間」は、もう身についているのだから、それを駆使して「見かけの速さ」をどうやって算出すればいいのか、単位はどういうものにしたらいいのか、考えさせてみようという流れになった。

算数《アフター》見かけの速さを算出する公式と単位を考えよう

こっちの方が、生活に即した(生の人間の感覚に即した)ものにならないかな?だいたい時間なんて、人それぞれ、流れ方が違うんだから、全世界、全世の中同じと考えている算数・数学の公式では測れないのではないか?

国語《ビフォー》和歌を読んで、昔と今の共通点や相違点に気づき、和歌に親しみを持つことができる。

この《ビフォー》の目標は、よくあるもので、「親しみ」を持つために共通点や相違点を探るというのは的確な方法なのだが、どういう相違点を想定しているか?と訊いてみると、「言葉が違う」ということだった。そりゃそうでしょう。古典の和歌を取り上げるんだから。こんなふうに対話でツッコんだ。

  • 相違点は限りなくあるし、短い時間の模擬授業では、それを洗いざらい出すことは不可能じゃないか?
  • 対象に親しみを持つ時ってどんなとき?
  • 相違点は、文化や社会制度によるものがたくさんあるんだから、そんなに違う環境でも共通点があると思えば、親しみが湧くのでは?
  • どんな共通点があると思う?
  • 恋愛に対する昔と今の相違点、共通点は何だと思う?

と、恋愛談義に移行していった。訊いてみると、学生さんたちは、「昔のように重い恋愛はしないのでは?」という意見が出た。そうか、和歌に詠まれているのは「重い」恋愛が多いのか。最近ヒットしている歌の歌詞ではどうだろう?という話になり、教科書掲載の短歌と、最近の歌の歌詞を比較してみようということになった。

国語《アフター》和歌を読んで、現代の歌詞との共通の恋愛観を見つけ出し、親しみを持つことができる。

恋する女性の夢を詠んだ短歌と、授業者が示した3つの歌詞を比較して、もっとも短歌に近い歌詞を選び、その共通点を可能な限り挙げるという授業デザインになった。「恋愛観」という語を用いて来た。個人的には現代大学生の恋愛観にとても興味がある。

どの教科も、ビフォーアフターで、アフターの方が、ワクワクする授業プランになっていった。学生さんとの対話で、学生さんも、私もどんどんアイディアが出てくる。こんなことやったら、学習者は没頭して取り組むのでは?とイメージが湧く。

終わりに

今まで自分が受けてきた、目標もぼんやりとし、評価基準もいい加減な(というか、むしろ示されない)授業を再生産しても、授業改革はなされない。今まで受けてきた「スタンダードな」授業は「本当に面白かったのか?」という自己ツッコミを経ないと、本当に学べる授業は作れない。

私の授業は、とりあえずスタンダードなお茶を濁す、時間だけをつぶす授業をしてしまうと、評価は低くなる。いや、評価の問題では無く、教育大学で、今まで自分が受けてきたような授業を再生産するだけでは、将来の教育は良くなるはずが無い。授業に向き合い、学習者に向き合い、「本当の力をつける授業とは何か?」をディスカッションしながら、対話しながら、創り上げられる時間は、大学にいる今しかないのでは?とも思う。もちろん、教員になってからも時間を作れるのだが、没頭できるのは今しかないと思う。その時間をいかに作り、その時間でいかに授業を創り上げていくかが大切なんだと思う。

もうそろそろこの「教育実践基礎論」も最終回を迎える。2学年前期に移動したのだが、前期に移動してよかったと思う。2年の初っぱなに授業づくりに真剣に取り組む時間を作る必要があると思ったから。

最終回は学生さんたちと対話する時間を作って行けたらと思う。