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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

学級担任の決まり方

大学院の授業「「より良い集団づくりを目指す学級担任」と「授業検討会を組織する研究主任」の理論と実践」というとてつもなく長い名称の授業を開講している。名称が長すぎるので、誰も覚えていない。大学の公式な学務情報システムでさえ、途中で切れて「……」となっている。その授業の「より良い集団づくりを目指す学級担任」の部分を担当している。

「学級」の成り立ち

そもそも学級はどうして作られたのか?から、「学級」、「パックツアー」、「この授業」の共通点、相違点を考えることで、学級の特徴を考えるという流れになった。この実践は、

〈学級〉の歴史学 (講談社選書メチエ)

〈学級〉の歴史学 (講談社選書メチエ)

  • 作者:柳 治男
  • 発売日: 2005/03/11
  • メディア: 単行本
を参考にしたものだ。

「学級の成り立ち」と、今現在の「学級の意味」は違ってくる。学級は、そもそもコスパが良い教育システムとして作られた。経済的に裕福な階層の人たちには、お抱えの家庭教師がいる。それを雇えない人たちにも教育が必要ということで、学校が作られ、学級でコスパ良く教育が施された。

結果的に「集団」が生まれたのだが、現代では「社会性を身に付ける」、「対人関係を学ぶ」、「対話的学びを行う」というために学級「集団」を作ったと思われている。それはそれで全く問題はないのだが、そもそもの成り立ちがの視点がコスパなので、ちょっと問題も生まれてくる。

「学級」、「パックツアー」、「この授業」の違い

「パックツアー」や「この授業」は、構成員自らが選んで集団に入ってきたものである。誰かに強制されたわけではない。選んで失敗だった、成功だったと思うかもしれないが、それは選んだ人の選択の結果であり、選んだ人がある程度の責任を負うことになる。責任を負って、そのツアーから外れるという選択肢も有り得る。この授業を次から欠席するという選択肢も有り得る。しかし、「学級」は、構成員が自分で選んだわけではないのだ。だから、「外れ」だったとしても、構成員の責任にはなり得ない。しかし、構成員の責任に転嫁される可能性もある。

「みんなと仲良くする」という学級目標が掲げられたとする。しかし、仲良くなんてしたくない、仲良くできないという児童・生徒は、どうすればいいのだろうか?次の日から学級に顔を出さないという選択肢は、いろんな力により阻止されることになる。仲良くできない児童・生徒が「おかしい」とする同調圧力ものしかかってくる場合もある。私の担当の大学院の「この授業」で私が「受講者みんなが仲良くしなさい」という目標を掲げたらどういうことが起こるのか?「あの先生、なんかおかしい」と思われ、次の時間から出席者がどんどん減っていくのは明らかだ。

「部活動」という集団

学校の中で、自らが選んで入っていく集団として、部活動がある。学校の中ではほぼ唯一の集団かもしれない。学級と違って、嫌なら学級と比べて簡単に所属をやめることができる。あの顧問の先生の指導が素晴らしいから、この部活動に入りたいと思って所属しようと考える児童・生徒はたくさんいるだろう。

と考えると、学校の中で「指導者」、「リーダー」を選んで所属できる集団は「部活動」だけということだろうか?

指導的立場の人の選択

学級担任を児童・生徒は選ぶことができない。「この授業」も私が担当だからということで選んだ人は皆無だろう。パックツアーで「あのガイドさんがカリスマだからぜひこのパックツアーに参加したい。」ということもほぼない。重要であり、見逃しがちな3つの集団の共通点は「指導的立場の人を選択できない(しない)」ということだ。つまり、学級担任を選ぶことができないのだ。

学級担任を選ぶことができたら?

じゃあ、学級担任を選ぶことができたら、どういうことが起こるのだろうか?1組の担任は、「宿題は全く出しません。毎日おもしろおかしい授業をします。」、2組の担任は「毎日たくさんの宿題を出して、勉強バリバリやります」、3組の担任は「毎週お楽しみ会をしたり、球技大会を毎月開催し、特別活動を充実します」と謳い、児童・生徒が自分が所属したいクラスを選択して1年間過ごす。

そんなことを想定して議論してみた。選挙ではないが、自分が行きたいところに所属できる仕組みだ。これっていいことなのか?どうなのか?

現職の院生さんから、「なんだか嫌だなぁ」という雰囲気の感想が漏れた。私からしても、なんか違和感がある。この違和感は何だろう?そもそも、学校は、自分の「好き」だけを選んでそれだけを学ぶ所なのだろうか?というところに引っかかっているのだが、この感じは、もうちょっと冷静に考えるべきことだろう。最近では学級を固定しない学校もある。

ある院生さんから以下のような意見が出た。

同質の子どもたちばかりで構成された学級だと、学級担任が子どもたちに配慮することがなくなり、暴走することがあるのではないか?不満分子がいることで、そちらにも配慮し、バランスの取れた指導が行われるのではないか?

なるほど。選んでくれた(指示してくれる)子どもたちだけではなく、反発している人にも配慮する教育。どこかの国の指導者に心がけて欲しいことだ。これこそ「民主主義」だ。

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授業で使った付箋紙ブラウザアプリ「Metro Retro」

「選ばれている」部活動顧問がいて、その集団が「同質」の構成員が多い場合、上手く行くときは上手く行くのだが、たまに行き過ぎた指導が問題になるときがある。「不満分子」が同調圧力で消え、問題が起こった後、「指示されていると思った」、「指導の一環だと思っていた」という反省の弁を述べる。恐いことだ。

2009年の映画「WAVE」を簡単に紹介した。

THE WAVE ウェイヴ [DVD]

THE WAVE ウェイヴ [DVD]

  • 発売日: 2010/04/28
  • メディア: DVD

高校の選択授業で「独裁政権」を学ぶ授業で、選ばれた独裁者役の先生のもと、生徒たちがどのように暴走していくのかを描いた実話をもとにした映画だ。上記「行き過ぎた指導をする部活動顧問」に通じるところがある。

担任として必要な「資質」・「能力」は?

さて、「選ばれていない」担任でも、指示されるようにするためには、どんな「資質」・「能力」が必要になるのだろうか?「信頼される」ということが授業では上がった。じゃあ、信頼されるためには、どうすればいいのだろうか?人望が厚ければ、信頼されるのだろうけれど、私のように人望が厚くない人は、担任はできないのだろうか?

唯一言えるのは、

真摯であること

である。集団に「真摯」であること、というのは、「相手の意見に耳を傾け、判断する」ということではないだろうか?これだったら、人柄が悪くても、人望がなくても、ポリシーとして行動できる。

ということで、担任として必要な資質・能力は、「民主的な価値観を持っていて、行動し、指導できる」ことであると考えている。