Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

学ぶということ

昨日のほぼ日刊いとい新聞のエッセイ「おとなの小論文教室。(山田ズーニー著)」で、「学ぶ」ということが取り上げられていた。

1~10の過程があって、1から順番に10まで教えていくと、10以上のものは受け取ってもらえないし、10も受け取ってもらえない場合が多い。

10を示して、5、3と、とびとびに示すと、10ばかりではなく、20も30も学んでくれるということが多いというのだ。

まさに「学ぶ」ということの本質をついている。私は「学ぶ」という言葉が好きだ。「学ぶ」は勝手に全てのことから学べるのだ。しかも、人間において学んでいない人はいないと断言したい。人間はどんなときでも学べる。寝ているときにも夢から学ぶことができる。(寝ているときに夢から「勉強」したという表現はおかしいよね。)

授業をしていると、「おお、こんなことまで学んでいるのか。」と驚くことしばしばである。以前、私が配布しているgilに本当に小さな文字で書かれてある「不入虎穴、不得虎児。」という文から、「先生の言っていることがわかりました。」と書いてきた生徒がいた。私はそんなところにそれを書いていることも忘れていたし、そういうつもりでそこに書いてはいないのに、生徒は自分の環境に合わせて自分が伸びるように学んだ。すばらしいことだ。

授業をやって、「失敗!」と思っても、そこで何かを学んでいる子どもはいるはずだ。きっと。でも失敗は失敗。教師としては次の授業は改善せねばならない。