Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

自分だったら……と思っていること。

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私の大好きなラジオパーソナリティー赤江珠緒さんが新型コロナウイルス感染症に罹患した。写真の手紙は「たまむすび」に宛てたもの。検査中のもので、要請の結果はまだ出ていない段階だった。全文はここにある。
www.tbsradio.jp

この新コロナ禍に日本が騒ぎ出して4カ月経とうとしている。自分は、酒井高徳が罹患し、志村けんさんが亡くなり、そして赤江珠緒さんが罹患したことにより、ぐっと身近な、「自分にも起こりうること」という印象が遅ればせながら強くなった。人間は、すぐ後ろに危機が迫っていても気づかないようにしてしまう生き物だと、吉田兼好は言っているが、本当にその通りだと思った。

世界中、「罹患した人」と「罹患していない人」に分断されている。「罹患していない人」は実は「まだ罹患していない人」だということに気づいていないのかもしれない。だから、医療従事者を初めとして、この新コロナ禍の中で、われわれの生活を支えている人に対してひどい言動を投げかけているニュースもよく聞く。一般的な「若者」全般に対しても、快く思っていない年寄りもいると聞く。しかし、これは、「分断」によるもので、この分断はなんだか作為的なもののような気もしないでもない。分断して、自分は「違う方」というところに身を置いて安心する心理もあるのだとも思う。

しかし、「罹患していない人」は実は「まだ罹患していない人」であって、最悪「いつか必ず罹患する人」になる可能性がある。そうであるならば、罹患をなるべく遅らせて、ワクチンが開発された後に罹患するのが得策だ。

そんなこともわからず、罹患していない人が、「自分は罹患しない側の人間」と平気で思っているのがもどかしい。罹患した人を悪者扱いにして、「そいつのせい」と思ったり、数人で話しながら歩いている人を「クラスター感染を招くんだ」と白い目で見たり。いやいや、あなた(私も含めて)、もう罹患しているかもしれないんですよ。自分(私も含めて)が市中で罹患する可能性がかなり高いということを頭に置いて、今のうちからリスクを冒してわれわれの生活を守っている人をリスペクトしなければ、と思う。



最悪の事態を想定して準備するのが、日本人は不得意。と、内田樹先生もブログで書いていた。約20年前、高校教師だったときにディベートで「原子力発電所はなくすべきである。」という論題の試合を設定した。その試合を担当したあるグループの生徒が、近くにある東北電力の支社に取材にいって、「事故が起こったらどうするんですか?」と質問したそうだ。社員は「原子力発電所は事故は起こりません。」と答えたそうだ。そんな報告をしてくれた生徒のことを思い出した。

私にはそんな大事の最悪のことは想定する想像力は無かったけれど、「自分が新型コロナウイルス感染症に罹患したら」という事態を想定しなければならない、と赤江珠緒さんの手紙を読んで実感した。是非たくさんの人に読んで、準備して欲しいと思う。そうか、入院にはサンダルが必要か。