Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

白い牛のバラッド


2020年 イラン・フランス シネ・ウインド鑑賞

新潟日報の年間シネマベストテン(2021年)に投票し、そのプレゼントとしてシネ・ウインドの無料鑑賞券が当たった。期限が4月末だったので、スケージュールが空いて、観られる、観たい映画を選択したらこれになった。

イラン映画はもしかしたら初めてだと思う。こんな機会が無いと観ないな。映画とはいえ、イランの日常生活を映しだしている映像も初めて観たと思う。ニュースの映像は、ほんの一部の切り取られた扇情的なものばかりだし。当たり前のようだが、日本の風景とそう変わらない。iPhoneを使い、高級車もあり、ボロいアパートから高級マンションまである。当たり前のことなのだが、そんなことにも思いを馳せられない。ニュース映像だけの切り取りでイメージを作っていたのだな、と思った。自分は自分が思っている以上に偏狭な視野の持ち主だ。

冤罪による死刑がテーマ。ドキュメント映画では無いのだが、イランでは上映中止になってしまったそうだ。

宗教により社会のシステムを構築していく怖さを覚えた。科学や、人間の理解をもとに社会システムを構築せず、宗教の教えが主となるのが、思考停止を生み出し、いかに理不尽なのかということを考えた。これは、今連載している「チ」でも描かれている。

日本には死刑制度が残っている。野蛮な前時代的な制度だと思うのだが、被害者のみならず、世間の人々の「感情」に配慮して残しているのだと思う。死刑制度があるから犯罪抑止力があると本気で思っている人はいるのだろうか?しかし、「死」は完全に不可逆なものであるということを本当に理解しているのだろうか?とも思う。過去、日本でも冤罪による死刑(公的なものも、公表できないものも)が数えきれないほどおこなわれていた。「死人に口なし」として冤罪であろうが何であろうがそれで終わりにして、思考停止をしたいのだろうとも思う。

映画の中の1シーン

「どうせ人はいつか死ぬ」
「どう死ぬかが大切なの」

最近触れたフレーズに「「死」のみが、その個人が引き受けられる唯一のものだ」というものがあった。それ以外はある程度代替可能ということだ。権力やいろんな力による「死」を与えられたら、人間として不条理としか思えない。

それにしても、この映画のラストシーン、一体どういうことなのだろう?と考えてしまうのだが、この映画を観ている身近な人もいないと思うから、語り合えない。語り合ってみたい。