Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

ペーパーテストの限界


学部3年生が卒論テーマの一部として、「ペーパーテストの限界」を調べている。

ペーパーテストでは、学力のうち、何が測れて、何が測れないのか?ということだ。しかし、世には学校で身に付けさせる力は、ペーパーテストで測れる力のみと考えている教員もいる。ペーパーテストで測れない力を伸ばす労力を削る、もしくは「他に任せる」と豪語している管理職も現実にいる。

問題なのは、〔学校の成績=ペーパーテストで得た得点〕と思っている学習者、教員だ。そこで、ペーパーテストでは、何が測れて何が測れないかを明らかにする必要がある。以下の記述は、学部3年生ゼミ内での対話によって今現在確認したことをまとめている。

学力の三要素

学校教育法第30条第2項が定める学校教育において重視すべき三要素では、

  • 知識・技能
  • 思考力・判断力・表現力等
  • 主体的に学習に取り組む態度

と定められている。その中で、「主体的に学習に取り組み態度」は、ペーパーテストで測るのは難しいというのは何となく思えてしまう。しかし実際、ペーパーテストの結果が良いということは、「主体的に取り組んでいたのだろう」と推測している人もいる。

「知識・技能」は測れるのか?

「覚えた知識」は、文字として紙上に記載できる。だからきっと測れるのだろうと思われる。しかし、言語以外の知識は、紙上に再現することはできない。例えば図形や絵や動きとして記憶されているものだ。ある程度は再現できるものはあるが、動きは不可能だろう。

また、「技能」はどうか?言語の「技能」だったら、紙上への再現性は高いだろう。国語だったら「日本語として通じる文章を書く」とか、「○字以内で表現する」とすると、技能を使わなければならない。しかし、理科の実験の技能は、適切な実験の方法を紙上に再現しても、実際に実験でそれが出来るかどうかは不明だ。理科のテストを確認したが、「実験時の知識」しか問うていなかった。

「技能」は、部分的に測れるのではないか?ということを確認した。

「知識」とは、「検索力」?

記憶の奥底に沈んだまま表層に出てこないものは「知識」と言えるのだろうか?

ペーパーテストでは、時間内に覚えたはずの知識を引き出さなければならない。これができないと点数を取れない。テストが終わってから思い出すなんてことは良くあったことだ。だから、覚えていても表層に出てこないと「知識」とは言えなくなる。つまり、「知識」よりも「検索力」が必要になる。

しかし、検索力は、インターネットが発達した今、人間の力によるものはほぼ必要無くなり、インターネットに頼れば良くなる。そして、知識もクラウド上にあるものの方が人間の脳内より膨大だ。攻殻機動隊のように、人間の能力としてクラウド内を検索できれば、それに置き換わる気がするが、スマホを使っての検索はNGで、能力としてだったらOKというのは、どうしてだろう?

人間はペン等を使わないと紙上に字は書けないのに、ペンという道具はOKでスマホという道具はNGという根拠はなんだろう?

覚えたパターンに当てはめるのは、「思考力」、「判断力」か?

例えば、数学の問題を解く場合は、「思考力」、「判断力」を測っていると言えるかもしれないけれど、果たしてそうだろうか?

数学の問題を解く場合、今までの学習で習った公式を問題に出された数字に当てはめて解いていくことが多い。これは、「思考力」と言えるのだろうか?思考しているのだろうか?知識としてある「公式」を目の前の問いに当てはめているだけじゃないだろうかか?検索しているとも言える。

特に定期テストの場合、授業で学んだことが出るのだから、学んだことを問いに当てはめていくことがおこなわれていくことが多い。

今まで学んだことがない、出会ったことがない問題を解いている場合は、思考力、判断力は働いていると思われるが、定期テスト、入試問題では、ほとんどの場合ないといっていいだろう。

「表現力」は測れそう?

言葉による表現力限定だが、これは測れると言っていいだろう。ただし、文字言語の表現力だけで、音声言語の表現力は不可能なのは当然だ。

ペーパーテストで求められる力

ペーパーテストを解く際にどんな力が使われているのかを考え、それって、社会で生きていく上で、どんな風に役立つのだろう?を対話してみた。

制限時間内に「正解」を引き出す力

5分とか、40分とか、90分とか、決められたかなり短い時間内集中して解答をしなければならない。これらはそれなりに力が必要だというのは当然なのだが、果たして生きていく上で、こういう場面ってあっただろうか?

もちろん働く上で試験をパスするという機会はある。そこには必要な力だし、それを上げれば試験の点数は良くなる。しかし、それ以外に使える力なのか?というと、そうでもない気がする。

生きていく上で「期限」はあるが、それは○日や○カ月ぐらいの単位だ。その中で、仕事や生活をやりくりして、時間を生み出し、それに当たっていく。○日間集中してそれ以外取り組まなくていいなんていうことはあり得ない。時間を与えられ、テスト問題を解く以外は何もしない環境なんて、試験以外、社会の中であり得ないと言っていい。学校を卒業したら、試験を受けずに生きていく人なんてたくさんいる。

ペーパーテストを解く場というのは、かなり特殊な環境と言ってもいいだろう。クイズ大会はそれに近いとも思う。日本人がクイズ番組大好きなのは、学校で培った力を発散したいからなのか?

誰かが作った「正解」を当てる力

ペーパーテストには、必ず「正解」がある。そしてその正解は誰かが作ったものだ。世の中の真理を見つけているわけではない。科学や数学の「正解」も、とりあえず今の段階で妥当だと思われている考えを「正解」としているにすぎない。学問研究のレベルになったら、誰かが作った「正解」を当てる力なんて何の役にも立たない。誰かが作った正解の矛盾を考える力を付けなければならない。

大学入試共通テストに代表されるような選択肢の問題を解く力なんて、生きていく上で全く役に立たない。人生のうち、いくつか選択肢があって、1つだけが「完全正解」なんてあり得ないからだ。生きていく上で、Aの道をたどるか、Bの道をたどるか、のような選択の場面はたくさんあるが、どちらかが必ず正解ということはあり得ない。

むしろ、どっちも間違いということもある。

または、Aを選んだ場合、そのAという選択肢を「正解」に自分の力で近づけていくということがとても大切だ。自分で「正解」にする力の方が生きていく上で役に立つ。

最適解や納得解を考えるテスト

ペーパーテストでは、主に唯一解を当てる作業になるのだが、思考力や判断力を測るのであれば、最適解や納得解を答えるものにするべきだろう。

例えば、

「李徴は本当は妻子のことなんて全く気にしていない。」とした場合、その理由を論ぜよ。

というような、出題者も正解が分からない問題だ。正解は分からない(「正解」がないから分からない)が、論述の妥当性は測れる。それで評価することは可能だ。ちょっと難しいけれど。

生きていく上で、黒を白にする、白を黒にする。失敗を糧にする、成功体験で物事を測らない、というような力がとても大切だと思う。

終わりに -「思考力」とは-

「思考力」とはどこからどこまでを指すのか?はまだ明らかにしていない。知識を呼び起こすのも「思考力」だ、とすれば、「思考力」は簡単に測れることになるが、きっと違うのだろう。ぼんやりといろんな思いを巡らせていても「思考」だと言っていいのかどうか。ここの定義を明らかにする必要がある。