Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

加茂高等学校学習習慣形成支援講演会講話内容

2023年5月19日に新潟県立加茂高等学校で「学習習慣形成支援講演会」の講師として招かれて、喋ってきた。

そこで、自分の話をPixel7のレコーダーで録音し、テキスト化してみたので、それを修正したものを挙げてみる。

ところどころ誤字脱字もあるだろうが、リアルタイム録音をちょっと修正したものなので、ご容赦いただきたい。90分の講演、体育館に各自椅子を運んで並んでもらった。私はフロアーに立って話をした。こうすると、みんなの表情が見えて、話しやすい。

何のために学ぶのですか?

皆さんこんにちは。上越教育大学教職大学院、片桐と言います。。高校教師をずっとやってまして。何年か前、7 年前ぐらいに大学に転職しました。高校生のことよく知ってるとか言われましたが、次男が今年大学に行っちゃったので、そのぐらいの情報しかなくて、高校生とはあんまり触れ合っていないのです。

退職してから7 年も経ってるので、皆さんに刺さる話ができたらいいなと思いながら、今回の話は?学習習慣の形成支援講演会ということなのですけれども、そもそも何のために学ぶんですか?

皆さんもうね。日本語ペラペラだし、どこでもアルバイトに行けそうな感じで、「これ以上学ぶことあるんですか?」って言った時にいやいや。これからずっと学ばなきゃやっていけないんだよっていう話をして、あーじゃあ勉強や学習して行こうかなって思ってもらえるととっても嬉しいです。

で、何のために学ぶんですか?というともうここに答えを書いているのです。複雑になるためです。このことさえ頭の中に入れてもらえれば、今日は終わりになりそうな予感がするのですが。話の内容はとりとめもなく複雑です。

だからわかりやすくないです。わかりやすい話を聞いて分かった気になるのが実は学びとしては一番良くないことです。「おじさん何言ってたんだろう?今まで聞いてた話と全く違うな。先生の言ってることと真逆のことを言ってるぞ。いったい。どっちが正しいだろう。」なんていうことを考えていくのが学びにつながるのかなぁ。なんていう風に思います。

複雑な内容ですので、90 分、あ、 60 分ぐらいしゃべると思いますが、その中で意識を失ってもしょうがないかなと思うんで。

今日、初めての高校での中間テスト。どうでしたでしたか?今までと全然違うと思いますよ。テストとかね?何でこんな難しい問題に出てくるんだろう。

私の高校教師時代、高校 1 年生に言われてました。中学時代では、平均 60〜80 は当たり前だったですよね。皆さんテスト返されて平均は 40点くらいだったからびっくりすると思います。今違うのかな?

今日の内容です。まずはじめの自己紹介と大学の紹介をします。

右側の人が新潟市出身、左側の人が見附出身のゼミ生なんですね。アルビの応援しに行くの、初めてなのでユニフォームをあげて、一緒に応援してきました。私の経歴はこんな感じなんですけども、最後が新潟中央高校で勤務で、加茂にもバドミントンの試合で、あそこの体育館に何回か引率で来たような気もしますが、あまり昔のことなので記憶にありません。

で。今、上越大学教職大学院で専門は、元々国語の教師なので、国語科教育とか喋りの活動とか後でもちょっと喋りますが、ラップが最近うちの研究室、熱いですね。ラップ聞いたり作ったりしてる人いると思いますけども、ラップは、これ、国語の授業に今後入ってきます。多分。入れようかなと思ってます。

これが上越教育大学です。今ちょうど天気が良いとこんな感じで。こんな感じで綺麗な感じなんですけどね。今日は雨でしたもんね。教育大学もこんな課程があります。学校教育学部っていうと高校 3 年生が卒業したらすぐ入る、いわゆる「学部」であります。

その上に教職大学院っていうのがあります。教職で大学院っていうのは、大学卒業した人が 2 年間とか 3 年間、進学して学ぶ、先生になるための専門的な、その課程があります。それからもう一つ大学院の修士課程があります。

教職大学院で、免許が取れるんですよ。教員免許が。例えば高校 3 年生になって先生になりたいなーって思っている人、もしくは別に先生にならないといかなくていいと思って、教育学部なんか行かなくてもいいよ。っていろんな進路があるじゃないですか。

で、教育学部に進学した人は免許取って先生になるなっていう人が多いんですけども。教育学部がない大学に進学して、でもやっぱり先生、加茂高校のあの先生みたいな先生になりたいなって思って。でも今入ってる大学には、教育学部がない。もしくは教員免許取れないんだっていう人がうちの大学院に入って、免許取ってる人たくさんいますので。

何年も 7 年後になるわけですよ。私の話は 7 年後、もしかしたら上越教育大学の教職大学院を選ぶ人がこの中にいるかもしれません。

今日は午前中の授業をしてここまで来ました。ちょっと遠いんですが、ちょっと自動車で私は毎週末、私は新潟市に家があるんですけども。下道で 3 時間かけて帰ってきて、週末はビッグスワンに行ったり、DAZN でアルビを応援したいという毎週であります。

学校は何のためにあるの?

じゃあ本題に入ります。学校って何のためにあるんですか?というところからにしましょうかね?皆さんも中学校まで義務教育だったわけで、高校で義務教育じゃなくなってるわけなんですけれども。「何で進学したの?」って高校生に訊いても、だいたい。周りに進められるからみんなが行こうかじゃないですか?それは日本では当然だと思うんですね。でも、そもそも学校って何のためにあるの?って考えて進学を進める、もしくは自分が進学するという人は、あんまりいないんですが、そもそも論を見ていきましょうか?

法律に、憲法にこういう風に書かれてあります。日本国憲法の第 26 条は、これは義務教育のことですが、「保護する子女に、」保護者は子供に「普通教育を受けさせる義務がある。」って書いてあるのですね。

次、教育基本法、この高校だって、教育基本法をもとに教育がされてるんですが。

何のため?第 1 条に人格の完成のため、皆さん人格の完成のために、今、教育を受けています。法律でね。それから、平和で民主的な国家及び、社会の形成者としての役を担うためにみんな教育を受けてるんです。

全ては日本においてはそうなんですね。「何のため?」高校生に聞くと大学進学とかね。でもそれは法律に別に定まってるわけではありません。自学の完成のため、もしくは平和で民主的な国家及び社会の形成者としての健康な国民の育成のためにあるんですよ。

ちょっとね。法律のそもそも論は難しいかもしれませんが、簡単に言うと。成長するためには教育が関わっているんですよ。ってことで。自律して生きるため、一人で生きる、一人だけで生きるべきじゃないですね。自分で経済的にも独立したいっていうのもあるでしょう。

自分で自分のことを決めたいけどもあるでしょ。それが自律する。立派な人間になるため。社会を担っていくため、平和な認識平和で認識的な社会を担っていくために、皆さんこういうことのために、受けている、もしくは、受けさせられているんですね。

この講演の目標

はい、目標です。複雑、複雑、複雑になりましょう。って話ですね。複雑って何?っていうことなので、ありますけれども。

キーワードは「複雑」であります。もうこのレジュメの初めに「複雑になるためには」っていうのを書いてあります。私は結論最初に言うのが好きなんですね。話をしてだいたい長い話をして、一番大切なことを時間がなくなって言えなくなったということがあったので。

複雑になるためにはこの 4 点がありますので、この 4 点。

頭に入れて、これからの学校生活を送ってもらえればなと思います。それからメモを取る必要は全くなくて右上に QR コードがありますので、今度スライド全部アップされてますから。あの時あんなこと言ってたなっていうのは後からスライド見て確認してもらえればいいですし。

ちょっと眠りそうだなという人はメモを取って眠気を覚ましてもらっても全然構わないんですが。

みんなが複雑で成熟していくためには、これからどのように学んでいけばいいのか、各自にあったアイディアを得るというのがこの時間の目標です。

自分でアイディアを作って欲しいな。複雑になるためのキーワードでレジュメの方には 4 点書いてありますが、もうちょっと具体的なやつは「ツッコミを入れる」。いろんなものにツッコミを入れていきましょう。それから問いを立てる。

ツッコミ、いろんなものに突っ込み入れてもらおうと思ってます。この 2 点ができると結構面白いですよ。

平和で民主的な社会を作りには?

さて、民主的平和で民主的な社会や国を作るためには?というふうなことで、この本にこんなことが書かれてあります。

独裁制なら」民主制とは全く逆の政治形態でありますね。「賢い独裁者に丸投げして、市民たちは鼓腹撃壌して我が身のことだけを考えていればいい。市民が子どもでも独裁制は機能する。」

独裁制でニュースでいろんな国が紹介されてますが、隣の国に平気で戦車で攻め込んだりしているところ、あれ一応、政治体制的には民主制になってるんですが、独裁制みたいな感じですよね。

選挙で選ばれた大統領でも、勝手に隣の国に戦車を進めて侵略してるわけですよ。あれ、完全な独裁制ですよね。でも民主制はそうはいきません。公共の福祉を配慮して、そのために自分に何ができるんだを考える。

「成熟した市民が一定数いないと民主制は機能しません。」

日本は民主国家と言われております。言われておりますが、言われているから民主国家民主制ではないんですよ。皆さんも含めて我々が成熟していないと民主制は成り立たないんですよ。って話です。

民主制って何ですか?民主社会って何ですか?

民主社会って何?この 4 点で表せられます。自分の生き方は自分で決められると。独裁制、これ決められません。自由に生きるって事です。でも自由に生きて好き勝手に生きるって事じゃありません。みんなが自由に生きられる。一部の人が自由に生きて、他の人は自由に生きられない。これ民主制じゃないですね。

それから、みんなが自由に幸せに生きる幸せを追求、全員が幸せを追求できなければ民主社会ではありません。簡単なことで非常に難しいことですし、こういうことを実現するためには学んでいかないとダメなんですね。

自分だけ自由に生きて周りの人の自由を奪っているっていう状態は、それは民主主義社会ではありません。近くにそんなことありませんか?

複雑は何がいいの?

まとめです。

成熟している社会っていうのは複雑だ。皆さんの周りの社会についてちょっと考えていこうと思うんですが、複雑です。自分では把握できないし。でも、世の中はその社会を簡単に語ろうっていう人が多くて、そんなことは簡単に語ろうと思って、それを真に受けちゃうっていうのが多いんですね。

複雑な社会もいろんな要素が絡まってるわけですが、複雑な社会を形成し、複雑な社会を運営していくには構成者、我々が複雑にならなければいけない。つまり複雑な社会を運営していくためには、自分たちと我々が複雑にならなければいけないこと。

民主社会はやってきません。よって話がなんだか、でかいところに入っていきますが、だんだん具体的に、皆さんが、どう学べばいいの?って話に落とし込んでいきますので、もうちょっと我慢してね。

変化に強いです。

複雑な社会では、一部がダメになっても、他の所が補完する。足りないところを補える。

指導者がリーダーシップを発揮してうまいこといったとしても、指導者が倒れちゃうと、その社会じゃダメになるじゃないですか?複雑だといろんなところにいろんな人がいるから、その指導者がダメになったとしても、次の指導者が出てきたりとかいうことなんですね。

たくさんのものやことを網羅できますよ。多種多様で少数のものも認められますよ。好きなことができますよ。一番最後、いいですね。複雑なところっていうのは好きだということができるんですよ。単純な独裁制っていうのは好きなことができません。

「こんなことしちゃダメだ。」よく言われます。生物が好きな人いると思うんですけども、生物多様性っていうんですけども、複雑になるととっても強いよ。っていう研究があるんですね。たまに学術的な研究を紹介しないと大学の先生だと思われないので。

種の数が多いもの、そして関係を結んでいる生物種のペアの数が多いほど、生物種の個体数の変動が小さくなり、世代系の安定性が高まったて表現されてるんですが、どういうことなのかっていうと、人間で人間だけで人間っていう生物だけで生きてるわけじゃなくて、例えば、
私の好きなお酒って人間だけで作れないですよね。米麹酵母菌がお酒を作ってくれてるんです。だから人間と麹菌っていうのはペアと言うか、関係性があるんですよ。酵母菌を虐げて酒造りをしているわけではありません。

酵母菌は美味しいものがある、米という美味しいものがあるから、それ、パクパク食べて、それ持ってアルコール出そうねってウインウインの関係なんですね。で、我々はいいお酒を飲んでたりするんですね。

一番わかりやすいのはイソギンチャクとクマノミですね。ニモみたいなイソギンチャクとクマノミは共生関係ですね。その調整関係のペアが多いと、異変があったり、環境変動があったとしても、何とかやってけるって話であります。

多様性、これ人間でいろんな人たち、いろんな人たちが関わってると社会が強いよって話ですね。

2019 年っていうと、4 年前は小学生ですかね?つまりCOVID- 19、 小学生ぐらいでしたね。卒業式開かれましたか?

その時、日本で何が起こっていたのか、科学技術大国とか言われる日本で何が起こったんですか?

マスクがないよって話ですよね。マスク 1 枚 1000円とかね。科学技術大国で何でも作れるはずなのに、なんで日本にマスクが無くなったんですか?おかしくないですか?それから防護服もありませんよ。

なんでないんですか?作れるでしょう。

あっという間になくなりましたよね。ところが石油石油に関して考えてみると石油の輸入があったり、止まったら日本では?3 ヶ月分ぐらい生きてくるそうです。いろんなところに石油の備蓄のタンクってのがあるんですね。

私も沖縄に旅行行った時にそういうところにタンクが、海の中に大きなタンクがある島があって、そこで石油の匂いがしてくるんですよね。そんなところが日本各地にあるんですが、マスクの備蓄はないですよね?

なんで石油は必要だと思ったけど、マスクが必要だと思わなかったからかもしれませんが。つまりマスクなんていつでも輸入できると思って備蓄しなかったんですよね。いつでも作れば作れると思わなかったかもしれませんね。

それからワクチンがありませんでした。全くワクチンがありませんでした。予防ワクチンは今日本で承認はされてないですかね?ファイザーなど、海外のものを輸入してるわけですが、医療もこんなに進んでいる日本でなんでワクチン(が無いのは)おかしいわけですよ。日本ってそんなに科学的に劣ってる国だったの?違うんですよ。ワクチンは必要ない。作ったとしても、それは使う予定はないから在庫だ、無駄だって思われたんですね。

マスクもそうです。マスクも今日本で作ってもそれはただ。高いだけだから海外から輸入すりゃいいや。でも海外は中国とか東南アジアで作ってたマスク輸入ばっかり止まったじゃないですか?何でですか?

それは自分の国で使うからでしょ。そういう予想が全くできていない。在庫を抱えない。無駄を省くって言ったらいいかもしれないけども、実は無駄自体が大切だったんですね。それから 4 年前コロナが蔓延した時に人間はどうなりましたか?

人間は、コロナにかかっただけで犯罪者みたいな扱いを人はしたじゃないですか?今ちょうど 21世紀の日本でさえ、そんな風になるんですよ。江戸時代の、もっと室町、それと同じレベルのことを起こしてるんですよ。なんで?教育がなされてないからでしょ。

病気ですよ。病気にかかっただけで塩対応ですよ。病気にかかってなくって、県外ナンバーの車が自分の件に運転されていただけで石を投げるんですよ。どんだけレベルが低い国民なんだと、日本、思っちゃうくらいですかね。

今はようやくっていうかCOVID-19になってようやくね。かかったら、罹患したら、病気を発症したらゆっくり休んでねって、ようやく 3 年経って言えるようになったんですよ。

3 年前どうなったんだ。非常に殺伐とした国でしたね。なんでかって言うと。無駄とか多様性とかそういうものを全く考えをしない国だったんですね。これは実はいじめと繋がります。

繋がるんですね。複雑化していればいいんですよ。でも複雑化しないからこんなことが起こりました。難しいんですね。複雑化するというのはとても難しいです。難しいから教育で複雑化を受け入れる。

また、複雑になるということが必要なんです。人間ってすぐグループ化するんですね。グループ化というか、単純化抽象化してしまいます。これは人間の非常に良い能力でもあるんです。いろんなものを一個一個一つ一つ認識しだしても。例えば草がこれ、花がこれ、なんていうように、非常に大雑把に物を捉えることができる。

そうすることによって、脳を他のものに割ける。脳のリソースを割けるようになったんですね。だから、人間としてはとても本能的に単純化、抽象化、グループ化っていうのはいい能力でもあるんです。

けれども、こっちの方が楽なんですね。

それから複雑化すると不安になります。このあの人、自分と違うんじゃないか?いや、違って当たり前なんですよ。一人一人違うんだからグループ化するもんだから、グループ化して自分とあなたが違うから不安になっちゃう。

それからすぐに繋がりたくなっちゃいます。そりゃあ、一人でいたら、すぐに繋がりたくなるんですが、複雑なんだからあなたと私は違うよ。一緒だって思って繋がりたくなっちゃうんですね。結局他を排除したくなるということで、いじめの構造です。

これも教育がなされていない非常に原始的な現象だったりしますね。じゃあ成熟した社会ということまとめです。複雑が強いんだけども、なかなか難しいですよ。

多様性を追求すると居場所ができます。

無駄だと判断されること、実は多様性につながってるんですよ。皆さんの成長です。「複雑になりましょう。」って話ですね。

他者を排除しなくなります。真理を見極められます。好きなことができます。自分の言葉で物事を語れるようになります。そのことについて一個一個喋っていこうかな?

シン・ニホン これからの時代に求められる人

これあの教育界でも非常に話題だった本で 2020 年に出た本なんですが、「シン・ニホン」でね。

「シン、シン言うと、」今の流行りに乗っかってやった本なのかというと 2020 年って「シン・エヴァンゲリオン」より前ですから、この人はもしかしたら「シン」の先駆けだったのかもしれません。

今までの今までは皆さんこんな風な競争をしてたんですよっていうと、この中のオールドゲームって書かれてあって、みんなが生きる競争で強い人が求められています。

みんな前の時代ですね。私たちの時代ですね。本当に受験戦争戦争と言われてね。勉強させられまくってね。こんな時代でした。法律などの個別領域の専門家が求められているので、自分で何でもできる。

すごい人、保護者一人が何度もやりなさい。自立してると全部自分で何でもできる人って言われていましたが、皆さんはこんな風に求められています。

New Game。あまり人が目指さない。領域のヤバい人。こういう人になってる。

逆に言えば、みんながやってる競争で強い人を求められてなくて、自分の独自の好きなことでヤバイぐらいまでやっていこうよ。やっていける人も求められてます。それから夢を描き複数の要求をつないで形にする人 。3 つ目も同じようにどんな分野でも頼れるすごい人を知ってる。自分がすごい人にならなくてもいい。すごいやつを知ってればいいんですね。

オールドゲームとニューゲームの大きな違いがありますね。オールドゲームは何でも自分でやりましょう。自分で強い人になりましょう。

ニューゲームの方は、すごいなんて知ってればいいんですよ。こっちの方が楽じゃないですか?で、自分は自分で好きなことを目指していけます。自分はここの分野、ちょっと足りないなと思ったら、知ってる。すごいヤツに助けを借りればいいんですね。
【高校時代に本当の学びができていない】

片桐研究室の 2 年生。これは去年の話ですね。今の 3 年生ですが、上教大に入ってくる学生さんは当時はまだセンター試験だと思いますが、センター試験で、まあ良い点数を取って入学した人たちが、うちの大学に入ってくるんですよ。

で、私の研究室に入って卒業論文、卒業研究をするんですね。これが大変なんですよ。何が大変かというと、研究ができない。

どういうこと?先週のディスカッションの内容を覚えてない。その人の研究テーマに沿って、みんなで、 2 年生たちでディスカッションをしたんです。

こうした方がいいんじゃない?って、自由にディスカッションして、アイディアをその人が得るっていうのを、やってるんですね。次の週、その人、それまでみんなが出してくれたアイディアを全く無視しているんですよ。

今までの学習では、先生がその授業で問題を解いて分かった。次の時間先生が出してくれた問題を解いてわかったという学習、しかしてないわけです。

自分の学びの何が問題なのかっていうのを考えて、それを次にやってくるっていう習慣がなかったんですよね。調べたことを発表するだけ。今も3 年生ですけども今もそうなんですね。

学校の図書館に行って、論文をたくさん読んで。「論文にはこういう風に書いてありました。」と発表するんです。

「だからどうなの?」って私が質問しますね。「だから何がわかったの?」「何がわからないかのか?」これができないですね。調べたことだけを発表するってこれ必要ないんですよね?チャット GPT でできることですよね?

ツッコミができないですね。問題発見ができない。書いてあれば本当と思っちゃう。これも大きな問題ですよ。上越教育大学の図書館に教育関係の本がたくさんあるんです。それを 1 冊読んで読んでこう書いてある書いてあるから本当だって思って。

それを発表していくんですよ。それってどうして本当かってその本に書いてあるんですか?何でそれが本当だとあなたは思ったんですか?って突っ込むと、「いや、書いてあるから。」あなたはじゃあ、書かれてあるもの全て信じるんですか?

本当にそれが本当のことなのか、そのことなのかどうやって判断するんですか?って、これもまた突っ込むんですが、この後でちょっと考えてもらいますね。

これね。エクセル、ワード使えません。使えるんだけれども入力ができるんだけども、見やすいものにできないですよ。

皆さんどうですかね?私も高校教師時代にプリントを配って、課題を提出させたんですが、先生が読める字で書いてますか?こう見ると結構私と同じぐらいの歳の先生方がたくさんいると思いますが。

小さな字だと読めないんですよ。わかります。皆さんは読めるんですが、小さな数字で書くと読めないんです。多分、この先生方は優しいから、そういう字もちゃんと読んで、この生徒さんはこんな風な意味で書いているんだろうなと思うんですが、私はそうじゃありません。

読める字で書くことを高校教師時代に指導してましたので、読めないうちは書いてないと同じですっていう風に言ったりしてました。それと同じですよ。ただ入力してあればいいと思っちゃうんですね。

びっくりするのが。、とか。とか入れないですよ。改行もなし。行空けもなし。つまり見やすく表現しようという意識が全くない。結構優秀なんですよ。この人。でもこういうことができなかったりするんですね。

高校時代にそんなこと学んでほしいなと思います。

複雑化の阻害要因

複雑化になるためにこんなことが阻害されてますよ。つまり、皆さん単純化しよう。単純化ししよう、していることが周りにあるから、いや、ちょっとこれ単純化しようとしてんじゃないの。

純化した評価。簡単に言えば、学力をテストの点数で測るということですね。テスト最終的にこの人ができるのは悪いかなとか思うんですが。でもそうですよ。数学の、例えば、抽象的な数を把握したかどうかは今日の問題だけでは測れません。

でも、単純化した評価テストの点数自体は、数学の学力があるって言ってはいないんだけど、そう思わされてるじゃないですか。国語の問題なんて、解けて点数高くても。

純化した評価の評価で、それは一つの目安であって、他の部分もあるんですよ。という話をいたしますね。与えられた尺度の評価。今は全部じゃないと思いますが。テストの点数だけで成績が決められることはないんじゃないかなと思いますが、私も高校時代とかテストの点数自体がそのまま通知票に載って国語の成績になっていましたね。

昔はね。今はずいぶんといろんな課題とかいろいろパフォーマンス評価とかして成績、点数をつけていると思います。

用意された答えを言っている。
何でも鵜呑みにする習慣。

皆さん、教科書の内容を疑ったことありますか?教科書の内容って年々変わってるんですよね?正しいとされているもの、変わってない分野もありますけども、でもそれが全てだと思っちゃいけないんですよ。

与えられた目標テストで 80 点以上をとりましょうね。自分で思ったんならいいんですか?

一人でもできる勉強とか関連性積み重ねのない勉強。

これ、複雑化を阻害する要因であります。これのもとに学んでもいいんですが、それ以外もやってねって話なんです。

ちょっとデメリットばっかりちょっと強調しますが、複雑化のデメリット。

複雑化のデメリット

国語の授業です。この作品に出てくる花にはどんな印象を持ちましたか?左の人は「人生のはかなさを感じました。」

「どんな印象を持ったんですか?」っていう質問なのに、「先生、答えは何ですか?」って聞いちゃう人いるよね。あなたの感想とか印象を聞いてるのに「答えは何ですか?」答えはあなたの中にしかない。

「先生、進路が見つからないので教えてください。」
「あなたの人生の選択に唯一解はないよ」ってその先生、答えたそうです。何でも答えがあると思ったら大間違いなんですよ。

あなたの人生に必要なのは?あなたに最適な答えとあなたが納得することしかありません。それ、どこにあるんですか?自分の中にしかないですね。

関連性積み重ねのない勉強。

寝てる人が出ましたのでこれをやります。

眠気覚ましのクイズ 積み重ねのクイズ

です。

ちょっと周りの人と相談して欲しいんですけども、または寝てる人がいるけど、クイズですので。あんまり考えない方がいいけれども。

でも積み重ねとかキーワードが積み重ね。超簡単です。

《省略》

論理的思考です。じゃあ、また複雑化の皆さんが起きたところで阻害要因を考えてみましょう。用意された答えを当てる一人でもできる勉強こればっかりやってると複雑化はしないんですよ。これももちろん必要ですよ。だって。

ペーパーテストの点数を取る能力は社会を生きる力になっているのか?

2 枚目。2 ページにそこら辺が描かれてあると思います。

誰かが決めたら正解はありますよ。
時間が来たら解答しなくてもいいんですよ。解けないのだったら。
解き方を教わることができるのです。
点数によってランキングされます。
考えて解いても、当てずっぽうで解いても、正当は、点数は同じです。

これ、教育学部の生徒に聴いたのですが、「役に立った」って言えてる人がいないんですよ。この中でいろいろ考えて、これはここに役に立ってるって言ってもらえればいいですが。例えば好きな人と両思いになるにはってこれ人生の大問題ですよね?

そのための力。どういう風に好きな人と両思いになれるのに使えるんだろう。結構悩んだんですかね?

生きがいのある人生を送るためには点数取るための力はどういう風に生かされるんだろう?

なかなか繋がらない。もちろんこれ、研究しているんですね。つながるんだったらつながるって言いたい部分もあるんですが。

さっきの写真の右側の男の子がそれを研究してるんですよ。でもなかなかつながらないなーって。結局その研究の、とりあえずの結論、ペーパーテストでは、思考力が測れないのではないかなという、とりあえずの結論が出ております。

じゃあ次に阻害要因。

信頼できる情報とは?

純化した評価、与えられた尺度の評価。

どういうこと?って言うと複雑なものを評価できません。評価っていうのは便宜上のものなので点数化するっていうふうに言ってもいいと思いますが、点数化するためには物差しがいるんですね。

物差しで誰かが作らなきゃいけないんですよ。でも複雑なもの全てに物差しをつけることができないんですよ。例えば。

魅力度ランキングで事件が 44 位で魅力がない。これ結構問題だったんですね。ニュースで話題になって。「G県」って、群馬県しかない気がするんですが、群馬県の知事が怒ったじゃないですか?覚えてます。

44 ってどういうこと?いや、魅力度ランキングって、人それぞれ違うと思うよ。でもなんかもう物差しで勝手に物差して作ってランキングしてるんですよね?

この情報で信じていいんですか?

SNS、最近ニュースで本当によく紹介されます。ニュース番組とかワイドショーとかで誰かの無責任なつぶやきでしょ。これ何でニュースで紹介してんのかな?って思います。

単に取材するコストが高いから、ネットを検索して引っ張ってきてるだけではないかと思いますね。

3 点目、「昨日何々があなたの悪口言っていたよ。」っていう密告。なぜか信じちゃう。私もなぜか信じちゃう。

でも、これって信じていいんですかね。もしかしたらこれをしゃべってる人が自分に対して悪意があって言ってる可能性だってあるわけですよ。でも「あの人が悪口言ってたよ 」ってなんかすぐに受け入れちゃう。

あと Wikipedia に書かれてある情報。これも大学生、信じちゃいますよ。引用参考文献自体を Wikipedia で平気で書いてるんですよ。Wikipedia で。私でも誰でも改編できる。嘘も書けるところですからね。書籍に書いてあれば何でもいいってことじゃないよ。

よくこんなワイドショーとかニュース番組でアンケートのシール貼っていくっていうやつありますよね。で、一番多い映像の、これ、お買い物アンケートですけど、これが実は一番なんですよ。とか言うけれども。

その街の時間帯にその街にその時間帯に訊いて、アンケートに答えてくれる人だけ限定のランキングじゃないですか。でも、これが全てみたいに行動したりしますよね。

ことわざの絵本、「鵜呑みにする」。多種多様大量で客観的なデータに基づいているものがいわゆるエビデンスと言われて、これをもとに学術研究ってのはされているわけでありますが、全てのものにこれが付随するものではないので、簡単に我々信じちゃうんですね。

だけども。、心に留めてほしいのが、現在進行している情報の階層化。情報の階層化は簡単に言えば情報には質の差があるということです。その質の差を知っている人と知らない人たちの間に広がっています。

つまり、街角アンケートも、ちゃんとエビデンスを持った論文の内容も同じだったのって、人がそれを知らない人なんです。「

情報の階層差は不可逆的に進行しますが、質の良い情報を取り込む装置を持っている人のところには、質の良い情報が累積し、質の悪い情報をスクリーニングできないというところには、質の悪い情報だけしか集まりませんよ。」

つまりネットの情報で、「あ、これ」ってクリックする。じゃあ、次もクリックって、どんどんどんどん。それをやっていくと、この人はこういう風な情報が好きなんだなって、AI が勝手に判断して、その程度の情報をバンバンバンバン流していく。

クリックして広告、見てくれたり、ある人はその広告からのものを買ってくれたりするからです。

でも、こんなネット上の情報は、全然信用できない。つまらんことだったと思う。そういう人はクリックしないから、そういう情報は表れないんですよ。

たまにちょいちょい聞きますけど、これは?情報の質があるということを知ってる人と知っていない人の間で、どんどんどんどん差ができてますよ。皆さんどっちですかね?

面白そうな記事がある。ゴシップ記事だ。どんどんどんどんクリックしていくとそういう。噂だとか嘘だと思ってクリックすればいいですか?そういう情報がどんどん目の前に流れてくるんですね。

「お前たちがオレの言うことに同意しようとしないと、俺が正しいということに変わりない」と言い募っている人間は、言論の場に集まってきた人たちに向かって、お前たちが存在しなくても何も変わらないと決めているのである。それは呪いの言葉である。」

これももう何の根拠もないけれども、これは正しいんだって言い募ってる人は政治家の中でもタレントでもいっぱいいるわけですが。そういう人は「お前たちは聞いても聞かなくてもいいよ。俺が正しいんだ。つまり、「自分の意見に対して検証する必要はないよ。」って言ってる人なんですね。

どのように学ぶのか?

さて、ようやくどう学ぶのか 30 分ぐらいあるので時間は大丈夫かな?

他人が決めた評価にこだわらない。他人が決めた評価はダメって言ってるわけじゃないです。でもそればっかりじゃダメですよ。自分の見方も作ってね。

オリジナリティを意識してください。いつもツッコミどころを持ってください。前日の学びに積み重ねるこれ、

複雑な世界に身を置いてください。

意味を見つけられるようになってください。

2 ページ目の上の方の四角の中。この事例のエビデンスはありますか?

新潟の女子高生のスカートが一番短い。2010 年前後。先輩はそういう風に言われていたんです。勝手ですよね。勝手ですよね。で、これをゆくゆく調べてどういう風な調査をしたのか?っていうと、研究者にとって非常にひどい調査です。

県庁所在地の中心の駅、例えば新潟市。隣の県だったら長野市の駅、の前に、ある一定時間、スカートの長さ、女子高生のスカートの長さを調査した。

新潟県教育委員会が真に受けてね。長くしないとダメだって言って。私の高校教師時代だったですよね。なんでこれ真に受けてんだ。こういう嘘、噂を真に受けちゃうんですよね。

もっとすごいのが、1990 年前後、N大学が最も同棲率が高い。私は 1989 年卒業ですが、その私がN大学だった。

全ての大学生のアパートを調べて、同棲してますか?同棲してませんか?調べるしかないのです。ネットがない時代です。でも、これ、真に受けてね。俺同棲してないから遅れてるなと思ったりですね。

ちなみに2位は筑波大学と言われてますよ。これはひどい情報ですよね。

A県は13年連続学力状況調査で上位なので、教育力が高い。A県は秋田県ですけれども、皆さんも中3 の時に受けたでしょ?

でもあれって。公立中学校、公立小学校しか受けてないんです。どういうことですか?私立中学校の生徒、私立小学校の児童しか、あのテストを受けてません。ということは、私立学校が多い都道府県で、調査の対象になってない学校が多いということになります。秋田は新潟県と同じ感じで、私立小学校、私立中学あんまりないじゃないですか。

単純に比較なんかできないでしょ。でもまことしやかに秋田県は教育力が高いなんていわれて、視察に行って、どうやればどうやれば点数高くなるんですか?先生方が聴きにいったりするんですね。この程度の調査を真に受けてんのか?とか思っちゃいますよ。

事例 4。これは多分ですが、1960 年代にポニーテールとか流行ったんですよ。で、だいたいポニーテールしてる人は不良だったので、あこれもエビデンス無いですね。スケバンだったので、あ、これもエビデンス無いですね。それを取り締まるために校則ができたのではないかと推測できます。できますが、エビデンスありません。

ツッコミを入れて真実を見つけるということ

ツッコミを入れましょう。という話です。これ、高校生の素朴な疑問から論文になった話、「コーヒーカップとスプーンの接触音の音程変換」。「物理教室」という学会誌ですね。学会論文に掲載されたんですけども、高校生が何かの時にコーヒー飲んでいて、コーヒーを混ぜるじゃないですか?それで混ぜていて、多分インスタントコーヒーだと思うんですけども、スプーンがこのカップの縁に当たる音、カチン、カチンというのありますよね。

混ぜていて、なんか、音程が変わっていくな、みたいな素朴な疑問から、本当にそうなのか?っていう論文になっている。こういう素朴な疑問から研究ってのが結構始まったりするんですね。

これ、「プロ野球選手と結婚する方法論に関する研究」。卒業論文ですね。明治学院大学の、この論文もすごい。

まずは。プロ野球選手の奥さんがどういう職種なのかっていうのを全部調べたんですね。その次に、どういう経緯で結婚したのかっていうのをこれもまた調べたんですよ。

素朴な疑問ですよ。卒論をそれで作っちゃう。こういう気づきがとってもとっても大切。

次のやつ皆さん、知っている?私もそんなに気にならなかったんですよ。

これすごいなあと思ったのが「メロスは時速何キロで走ったのか?」走れメロスだって言ってるんですけども。「メロスの全力を検証」という論文です。これは(財)理数教育研究という雑誌に中学生の論文としても掲載されています。

この人は、中学生の時にこの疑問を持ちました。これ結構有名なので、これ、検索すればもうすでに載っています。

人が歩く時って時速何 km 何キロぐらいだと思います?。目をそらさないでほしいな。だいたい。

駅からここまで何キロぐらい?

15 分ぐらいですか?5 分ってことは 1 キロぐらいですかね?そんな遠くない?

タイトルは「走れメロス」だよね。「走れ」って言ってるって事は「お前走ってねんかい」っていうツッコミが。

平均時速 2.7kmです。だからタイトルに「走れ!」って入っているんですね。素朴な疑問があったから、計算したんですね。

ツッコミを入れてみよう!

「自慢できること。何かあったりする?」「まあ一つはありますよ。」「僕あの映画隣のトトロあれ?1 回も見たことない。」「トトロ見たことないんだな。」「うん」「なんなんそれ」

「なんなんそれ」がツッコミですよね。

突っ込みの研究も今年 3 月に修了した、今、東京で高校の先生やってる人が、ツッコミの研究してたんですね。これ、「情報非付加ツッコミ」っていうんです。「ここがボケですよ 」っていう注意喚起です。こんな突っ込みはたくさんあるんです。

「俺先輩付き合いとかしたことないから、後輩として何すればいいのかよく分かってないんだよね。」「まあ、確かに先輩を立てるっていうのは意外と難しいからな」「でしょう。」「ちなみに何かプランとかあるの?」「まあ、一応移動中は神輿に乗ってもらおうとは思ってんのよ。」「あの、立てるのはいいんだけど。祭るのは NG」

ってツッコミなんですが。「情報付加ツッコミ」です。「立てているけれども、祀るのはやりすぎ、やりすぎ」っていう情報を付加している。「そこがおかしいぞ」って言ってるのが「情報非付加」。情報がくっついていない。

「やり過ぎだ」っていう風に情報を入れてるのが情報付加突っ込みなんです。

まあなんとなくわかったかな?文章について情報付加ツッコミを入れてみよう。2 枚目の下のところ。「危険な誕生日」という文章。

どこがツッコミどころかな?ということで「危険なが誕生日」という文章がありますので、ツッコミを入れてください。土屋賢二って私の好きな哲学者なんですけども、本当に全部ボケているような文章。ボケ満載ですよね。ちょっと突っ込み入れてみてください。

もちろん情報非付加でもいいんですが。

最近あれですね。ツッコミにセンスが必要になってきましたね。昔は本当に情報非付加ツッコミばっかりの漫才だけでしたけどね。ツッコミで笑わせるっていうのは?ダウンタウンから始まったと言われています。

先ほど言った高校で今、国語の先生やってる人がこの文章に突っ込みを入れましょう。という国語の授業もあります。結構ツッコミを入れようと思うと文章をじっくり読みます。だからツッコミって結構文章読解、読み取りにはとても大切なんです。

東京の高校でツッコミの授業してんじゃねえかな?って思っちゃいます。

ツッコミの必要性

ニュースとかネットニュースなんかにツッコミどころ満載ですね。ネットニュースね。

読み取り力は付きますよ。これ、よく言われてるんですけども、「ナポレオンは毎日 3 時間しか眠っていなかった」っていう噂というかね。噂ですが、本当かよ?って思うけれども、ナポレオンだったら当然かなって思い込んじゃうんですよね。

これが不思議なところで、「いや、人間 3 時間だけしか寝ないで生きていけるはずないじゃん?」って思うんだけども、

一説に、毎日風呂には5時間入っていたっていうのがあるんです。そりゃあ、風呂で寝ていたでしょ?ってね。

現実に考えればおかしいことを、我々、簡単に信じちゃうし。でもツッコミによってそのおかしいところを明らかにできるんですね。

他人が決める評価規準にこだわりすぎない

他人の決める評価にこだわっちゃダメですよっていうことで、これもまあ高校生には必ず言ってるんですが、偏差値って何って話?例えば同じ教育力でA大学、B大学があって。

こっちはスポーツで、例えば駅伝優勝したとかね。首都圏にあるとかね。有名人を輩出しているとかね。入学したとかね?学費が安いとかなると偏差値って上がるんですよ。偏差値って何?って話ですよね?教育力を測ったものではない。

教育力って複雑なんですよ。測れないんですよ。でも偏差値で測るじゃないですか?

誰かが与えたその評価基準を鵜呑みにしちゃいけませんよっていう話です。

自分でツッコんで。解明していってほしいな。おかしいでしょうか?おかしなところ見つけられるってツッコミ心ですね。

オリジナリティーが大切

で、「巨人の肩に乗る」ということで。これよく言われてるの?研究とか探求っていうのは今まで昔の人たち先輩たちが培ってきたもの、成果ってのは巨人ですね。

ニュートンが言った話ですね。その肩にちょこっと立って。人類が積み上げた過去の積み上げた成果で、ほんのちょっとだけ上乗せをするっていうのが探求であります。

ラップが、うちの研究で熱いです。ラップ作らせてます。大学の授業でも作っていてね。

どういうラップ?上越教育大学キーワードがでみんなに作ってもらってみんな思ってラップのビートを流して音からそれに合わせて自分のスマホで声録って、その音声データ提出。これは課題です。

一つだけ紹介します。

「早い段階で異能のある人と出会うのは大きい。夏目漱石正岡子規も高校や大学の時に天才に出会って、この分野にはとてもかなわない奴がいる。この分野はこいつらに任せて、俺は違うところに行こうという経験をしています。」

これ、先ほど言った。「すごいやつと繋がる。」ということ。「こいつにはかなわないから、こいつと勝負を挑まない。こいつができないことを自分がする」っていうことで、夏目漱石正岡子規も別の分野に行ったらしいですね。

正岡子規の話です。それぞれのニッチ、「ニッチ」ってのは誰もやってないような。特殊なところ。

「を探して若者たちが学べる方がいいに決まってます。

複雑になるとかですね。子規は初めは哲学科に行くのですけれども、ある人物に出会って哲学は任せようと思って俳句に進んだ。その結果、日本文学は子規を得ることができた。つまり、哲学の方に進まなくなったから、日本の文化として俳句という、教科書にも載るような俳句の評価ができたんだということですね。

自分のニッチを探して散らばっていくというのは一つの領域の中で相対的な有意を競うことの正反対なんです。」

子規は野球という言葉を作ったんですよ。

複雑になるためには

ここら辺も心がけてほしいな。ちっちゃな、自分と同質な世界だけにいるんじゃなくて、いろんなものと接してください。皆さんにも連絡が行くと思います。けれども、新潟県教育委員会が主催で大学に行って色々学ぼうよっていうやつ。

私の講座もあるんですが、私の講座はアナウンサーフリーアナウンサーをお呼びして人に伝わる喋り方っていう講座をやります。去年はですね。村上市から生徒さんが上越までやってきましたね。

そのぐらいのその気持ちがあると、いろんな異能力の人たちと出会って、自分の特殊なジャンルっていうのを見分けるんじゃないかなと思います。

そろそろまとめです。「学ぶって何ですか?」またシン・ニホンに書かれたものなんですが。

「学び」には 4 段階あります。1 段階目。理解できないことだけで、アイディアも浮かばない。今、皆さんこういう感じ。おじさんがなんかわからないこと、いっぱい言って、なんだかわかんないなっていう状態じゃないかなと思います。

2 段階目。無限の質問が浮かぶ。だんだんこう理解していくとツッコミが入るようになって、こことなって無限の質問が生まれてきます。

で、3 段階目がこれです。

これは本当の学びです。質問に対する答えが得られたり、解と出会ったりするとき、「それってこういうことなのか」、「あの話とこの話は繋がりあっているのか」などの新しいアイデア、気付きがどんどん湧いてくる。

ところがですね。50 も過ぎると、こうなります。気付きが生まれることはあまりなくなってくる。これは学びの終焉です。この 3 段階、これから皆さん来ますので、この時期を逃さないでください。

「ミエリン化」という言葉があります。学びの終焉。ミエリン化に向かって、もう、私はミエリン化しちゃってる。ミエリン化でいいことないんですよ。思春期の終焉、物分かりが良くなるんですが、冒険しなくなります。脳の細胞がそうなるんです。

脳がもうこんな成長とともにこんな風になってくるんですね。何でも分かった気になります。ルーティン化して発見が無くなる 「気づき」が無くなります。

だから、簡単に分かる○○ランキングとか、「これだけがいいんだ!」とかいうものに飛びつかないでください。

世の中はこんなに単純じゃありません。

坂本龍馬 28 歳。土佐脱藩
スティーブ・ジョブズは 21 歳でアップルを作った。
志村けん26 歳。東村山音頭を作りました。

政治とか、IT、お笑いの革命家みたいなんですね。みんなこのこんな歳で誰もやっていないことをやってるんですね。

終わりに

人生 80 年としまして。私は、56 歳ぐらいですから、ここら辺じゃないですか?私はここら辺ですね。80 年よりたくさん生きる人、たくさんいるんですが、まあ 80 年として。単純化してじゃあこれ 1 日に置き換えるとすると。

じゃあ「16 歳で何時ですか?」って話です。

はい、4 時 48 分 4 時 48 分今日、私は寝てました。皆さんまだ人生、起きてもいない時間なんだっていう風に思って、これからその活動をたくさんできる時間がありますので。複雑に出会って変化していこうという話です。

ちょうど時間でありますが、メールアドレスがありますので、なんか知りたいなというのがあったらね。受け付けてますので、いつでもご連絡ください。ちょうど時間になりました。

時間が許せば質問。

話となんか情報量で多分頭の中が今ちょっとカオスになってるかもしれませんが、あっという間でね時間だったと思います。どうでしょうかね?じゃあひとつだけ答えましょうか。

今期のアニメで一番のお勧めは「天国大魔境」

「推しの子」とか見てる場合じゃないですよ?「天国大魔界」見ている人?あ、今日はあなたのために私は来ました。ありがとうございます。

では、最後にお礼の言葉として、生徒代表、お願いします。

本日は忙しい中、私たちのために講演をしていただきありがとうございました。片桐先生のお話を聞いて進学することや教育を受けることに対しての捉え方が変わり、自分が成長するためには他の人の考え方や意見にとらわれず、自分らしくいることやある物事に対して疑問や気づきを見つけることが大切だとわかりました。

今日聞いたことをこれからの学びに生かし、活かしながらお話の中に行ってきた。すごい人になれるよう頑張っていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

はい、片桐せいせい、どうもありがとうございました。私が一番楽しんでたかもしれません。