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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

学部3年生俳句授業(高校3年 文学国語)


毎年今頃連携している高等学校で学部3年生が授業実践をさせてもらっている。9月からの初等教育実習に向けて、1単元の授業をすることによって、自信を持つことが狙いだ。ただ経験を積むことだけではなく、模擬授業用ではない、本番の授業デザインをしっかり考え、できること、できないことを自覚してもらうことに目標がある。

2時間しか担当出来ないので、いつも詩や俳句、短歌の授業をさせてもらっている。今年は俳句だ。

寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃 加藤楸邨

と、各自があと一句選んで2時間の授業を作っていく。

まずは全体ゼミでこの俳句の読み取りから始まった。ゼミ員みんなでどういうシーンの俳句なのかイメージを出し合うのだ。

「雷」ということで、夏のイメージをまず持つのは、関東や内陸部に生まれた人たちなのだが、「寒雷」とあるので、これは冬の季語。冬に雷なんて鳴るのにイメージが付かないらしいのだが、北陸、新潟の住民は冬の雷は当たり前。そのような語に対するイメージの違いを共有するだけで面白い。

つぎに「びりりびりり」というオノマトペにすぐ飛びついて、「これは稲妻が落ちる様子だ」なんていうゼミ生もいる。

稲妻が落ちて感電しているわけではない。「びりりびりり」は「玻璃(=窓ガラス)」が震動している音のオノマトペだ。

こういうように、句を読まず、単語に対する自分の持っている固有のイメージに飛びついて、そのイメージで解釈してしまう傾向がある。国語のペーパーテストの点数が良かった人に良くある傾向なのではないか?と、勝手に想像してしまう。短時間にすぐに答えを出して、その後考えないタイプだ。「中腰」のまま表現に向き合うことができない。

中腰ができるゼミ生は、「冬だから窓が閉まっていて、だからこそ玻璃(窓ガラス)に視点が行き、それを詠み入れている。」と解釈出来る人もいた。つまり、「寒雷」という季語があるから冬なのではなく、他の部分でも「冬」を読み込んでいるのだと。

こんなふうに、教材を読み込み、各自の「面白いな」と思うところ、ちょっと気になるところを元に授業デザインを作っていく。

2人はそれぞれメインの課題を以下のように作った

「びりりびりりと」の「と」とあるけれど、これは「の」や「や」じゃダメなのか?「と」と使うことでこの句のイメージはどのように作られていくのか?

「寒雷や」とあるから冬じゃなくて、それ以外にも冬を折り込んでいる。じゃあ、「雷(=稲妻等)」を表す語を使わずに、夏の雷の風景の俳句を作ってみよう

どちらも、視点を絞ること、シバリをかけることで語に着目し、語と語の関係を考える「言葉による見方・考え方」を育める課題となっている。

ただ、授業デザインを作っても、その目標の意図、課題の面白さを伝え、生徒の「面白そう!」という意欲を引き出せないといい授業はできない。その語りができるか、または、主体的学びを引き起こすために、余計な段取り*1を省けるかなのだ。

うちのゼミ生だから、細かいNG指導に関しては、絶えずゼミでの話題に出ているし、頭ではわかっているのだろうけれど、それを取り入れてしまう。

どうしてそういうことをやってしまうのか、わかった気がする。生徒が授業に取り組むのかどうか不安で、とりあえず、余計な段取りをさせることによって、時間を埋めたいという意識が働くのだろう。学習目標の一部分を(  )にして、そこに書入れさせようというプリントを持ってきたのには驚いた。

そんなことをしなくても、いい課題を提示すれば生徒は取り組んでくれるというのが、今回2人は体感したようだ。

授業デザインづくりの難しさと面白さを、ライブの授業を経験することで「本当に」わかったようだ。

*1:例:初めは一人で考えて、後からグループでシェア 板書をプリントに写させる