Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

エクリチュール

最近「エクリチュール」に関心を持っている。「エクリチュール」は一般的には「文字言語」を指すが,内田樹さんはロラン・バルト著「零度のエクリチュール」の叙述を元に

社会的に規定された言葉の使い方

と定義している。そして

社会的言語運用がきびしく制式化されており、自分が所属する社会集団に許されたエクリチュール以外の使用が禁止されているのは階層社会の際立った特徴である。

と述べている。本義は「文字言語」のことだが,この定義でいえば主に「音声言語」のことを指しているようだ。

私は現代日本に生きていて,あんまりそれを感じたことはなかったけれど,内田樹さんはフランスに学生と研修で行ったとき,階級により使う言葉(使ってはいけない言葉)が限定されていて,それが問題処理判断能力や,人の持つ意識を限定していると述べている*1

英語を始め,外国語に疎い私は全くそんなことはわからないのだが,日本でもかつて,職業や階層によって使える言葉が限定されていたなぁと思う。今再放送している「花子とアン」で,主人公ハナが,子どもの頃,女学校に入学して,徹底的に白鳥さん(ハリセンボンの春菜)から甲府弁をなおされ,いわゆる「お嬢様言葉」に矯正させられていた。また,時代劇を観ていると,武士階級の返事の仕方は「はい」だが,その他は「へい」となっていた。

英語の文法構造と日本語の文法構造は違う。思考は言語によるところが大きいから,思考構造も違い,ものの見方考え方も違ってくるということで,英語教育にも興味を持ち始めた。

そこで文献を漁っていたところで,「言語社会化論」(バーンスティン・萩原元昭編訳 1981 明治図書)に巡り会った。

英国の中産階級と労働者階級の話し言葉を分析し,その違いと思考の違いについて述べている。

大きく分けると「共用言語」と「定式言語」があり,労働者は前者を使用する割合がほとんどであり,中産階級は両者を使い分けているというのだ。簡単にいうと,「共用言語」はある特定の集団で暗黙の了解のうちに使える言語であり,「定式言語」は,文脈を知らない人にも理解させられる言語である。

「共用言語」の特徴の1つとして,次のようになると述べている。

共用言語の構造が,強い閉鎖的な社会関係をさらに強固なものとするところから、その話し手は、ある種の活動を通して、集団、およびその集団の形態や野心に対し、強い忠義心や忠誠心を示すものと思われる。そしてそのかわり、彼は、自分たちのものとは異なった言語形式—ちなみに、言語形式は、それを持っている集団に独特な社会的取り決めを象徴的に表している—をもつ他の社会集団に対して排他的になったり、おそらくそれと対立したりする、という代償を払っているものと思われる。つまり、共用言語の構造は、個人を集団から孤立させるような自他の違いについての経験を、ことばで表現することを差し止め、そして自らを脅かす恐れのある認知的、感情的状態に脈絡を与えるはたらきをするのである。(p.74)

これって,「仲間内の言葉」に当てはまることだ。その最たるものが仲間内で使う言葉(スラング)で,仲間性を強化し,他者を排除するといいうことは,現代日本でもそこら中で行われている。

そして,バースティンは,スラングを使うことで,罪の意識を減じているという例も挙げている。「正当な理由なく欠席する」(このニュアンスの正式な日本語,なんでしょう?)を「サボる」というようなものだ。「窃盗」を「万引き」と言ったり,「売春」を「援交」と言ったりするものだろう。

さて,エクリチュールが先か,社会階級が先かという論が当然出てくる。「その社会階級内で使われているから,その言語構造がある」とするか,「その言語構造から脱することができないからその社会階級から外に出られない。」というものだ。

バースティンは

言語形式は、何が、どのように学習されるのかを強く規定し、したがって将来の学習にも影響をおよぼすのである。こうした見地から、この論文では共用言語によって助長される行動について分析してきたのである。ところで、その場合の分析方法には本質的に循環論的なところがある、と思われるかもしれない。方法として、われわれは言語使用を分析し、そして社会的、心理的な行動を推論する。しかし、後者は初めから前者を規定しているいるのである。—なぜならば、言語の意味機能が社会構造だからである。(p.84)

と述べ,社会的,心理的な行動は言語使用を規定し,それが将来の学習に影響を及ぼすと言っている。つまり,循環している。

ということは,その循環を断ち切ると,別の世界が開ける可能性があるといいうことだろうか?

そこに教育の役割,言語活動の役割が見えてくるような気がする。この項,たぶんつづく。

*1:「街場の文体論」文春文庫 2016,pp.131-132