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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

数学の見方・考え方

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2020/05/26の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」では、数学について考えた。私は数学に関しては全くの素人なので、専門家にとっては的外れなことをこれから述べるのかもしれないが、高校までの数学経験者(私)が納得したことをいかにまとめる。

「創造」とは?

中学校学習指導要領(数学)解説には、

既習の数学を基にして,数や図形の性質などを見いだし,発展させる活動は,発展的,創造的な活動である。その際,数学的な見方や考え方が重要な役割を果たす。生み出される数学としては,概念,性質,定理など数学的な事実,アルゴリズムや手続きなど多様であり,帰納や類推,演繹などの数学的な推論もより適切さを増し洗練されていく。(P.65)

とある。数学において「創造」するということはどういうことなのだろうか?義務教育内で数学に関して「創造(=新たなものを作り出すこと)」というのは可能なのだろうか?数学という分野においては、もうほとんどのことが既知のものであり、その既知のものを学ぶのが、義務教育での数学なのじゃないのか?もしかしたら数学の超天才が中学生にいるかもしれないが、その特異なケースをみなして「創造」という語を使っているわけではないのだろう。でも、それを期待して使っているのかもしれない。

文章を「創造」することは可能だと思う。その人特有の文章を書くことは、言葉をかけるようになった人なら、できそうである。国語科指導要領解説には「創造」という語は結構使われている。しかし、数学においてはどうなんだろう?と疑問に思いながら話を進めた。

数学科特有な「学び」とは?〜証明〜

どこの教科にも「論理的、統合的、発展的に考えること」というような見方・考え方が示されているのだが、数学科でそれらのどこの部分を学ぶのか?という話題になった。数学科でしか身につかない「論理的な力」とは何だろう?計算は数学科でも理科でも家庭科でもおこなう。何が違うのか?

「証明」ということは、もしかしたら数学科でしかやらないのではないのか?考えてみれば、学問「数学」がテーマとなったドラマや小説を読んでいると、「証明」というものが現れているような気がする。「証明する」というのはなんだろう?もしかしたら数学の全てではないのか?証明がなされていないと全てが進まないのだ。理科のような自然科学でも証明をするのだが、それはもう既にあることを「ある」と証明していく。しかし、数学ははっきり言えばあるのかないのかわからない。あるものを「ある」とすると、次に「ある」となるものはこれで、つぎに「ある」となるものはこれで……というように成り立っているのでは無いか?つまり、証明が全てである。

「主観」が全く入らないものが数学〜文学とは対極な存在〜

「公理」から始まり、それをもとにつぎつぎに積み重ねられているのが数学であるので、正しいものへのツッコミの余地が全くないのが数学である。「だって、そう決めたんだもん。」と言うことになる。だからこそ、正誤がはっきりしていて、どこで間違ったのかをふりかえること自体が数学科での学びになる。そうか、どうして途中式を書かなければならないのか、計算結果は間違っていても、途中式で部分点が取れるというのは、こういうことなのか、という発見があった。

そう考えると、数学と対極にあるのは文学なのではないか?と考えるようになった。文学(または文章)というのは、間違ったことを平気でかける。「この文章、全く論理的じゃないけれど、なんとなく心に響く。」と言うことは当たり前にある。数学なんて「この数式、間違っているけれど、いい数式だ」なんてことはあり得ない。文学に公理はない。「なんとなく、こんな感じがいいんじゃない?」というものが沢山集まりできているような気もする。それが人間なんだから、文学を学ぶ意味はそこにもあるのだが、「何が正解かわからない」という生徒も多いのは、そういうところに原因があるのだろう。

再び「創造」について

「途中式」についての話題が出たら、問題の解き方は、1つだけではなく、既知の者同士を組み合わせたり、公式を持って来たりというのがその人の「創造」になるのでは?ということになった。数学の新たな法則や公式を生み出すということじゃなくて、解き方、考え方では「創造」できるということなのだろう。なるほど。

数学は人間の頭の中だけに存在する?

数学は人間がいなければ存在しないものなのだろうか?公理は人間が「そうしよう」と決めたものだ。その大前提がなければ数学の世界は存在しない。「負の数」だって存在しない。以前、「負の数の学びは、現実社会でどんな役に立つのか?」という課題を出したことがあった。「例えば、温度」なんて出たが、温度は、たまたま氷が溶けるものを「0℃」と人間が設定した明けで、熱が存在しなくなる「絶対零度」というものがあり、それより低い温度は存在しない=負の数は存在しないといえるだろう。

「借金は?」という話題になったが、借金がわからなくなった。所持金がマイナスになるって、どういうことなんだ?「何も持っていない」よりも持っていない状態って、あるのだろうか?それは、「今、借金が1,000円ある」とした場合でも、現実問題では「所持金は0円」ということだ。「借金が1,000円」ということは、これから働いて1,000円稼いだとしても、そのお金を手に入れることができないということであって、「所持金がマイナスになる」ということは現実的にない(というか、私はイメージができない。)

「借金」という語を使うからわからなくなるわけで、例えば「1,000円の融資を受けた」と同義何じゃないだろうか?融資を受けたのなら、「プラス」である。プラスだったら考えやすい。その1,000円を何に使おうが、勝手である。現実世界に「負の数」なんて存在しないんじゃないか?「負の数」の概念を得ることで、借金を考えやすくなるのかな?とも思った。数学は「便宜上のもの」だという自分の中の結論である。